月形祐二 糸島市長 殿
「糸島市役所、 福祉保護課」へ
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「特別依頼書」
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「糸島市役所、 福祉保護課」 |
白石、中田、小窪、島田、鳥越、西島
歴代担当者 殿、へ |
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令和4年 、10月11日、 16時 |
編集中、 TIFファイルを印刷して皆様に配布して下さい |
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編集中、 恐縮ですが、プリントして担当、関係者全員に配布して下さい。 |
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1、 編集中
前 略。、中田さん、お聞きしたい事が出来ましたので、お便り致しました。
私の心配が杞憂に過ぎなければいいのですが、万一の事が無いように、手続きの結果を、明確に確認する必要が起きたので、念を入れる為に、書面で質問させて頂きます。
無返答のままでは、済ませられない問題なので、当時の歴代の担当者の方々に、遡って、質問する「特別の調査依頼書の、2」になります。
今年の9月6日に、ある人物に出会いました。その日は午後3時過ぎた頃に、可燃ぶつのゴミ袋をバイクに積んで家を出発しました。
だいたい、週に1回くらいで、溜まった、5、6個のゴミを焼却する為に、「赤岸のみかん畑」まで運んで、火をつけて、自分で消却処分をする習慣になっていました。
以下、この日のエピソードを小説風に解説します。 (この会話内容は、3ヶ月前の記憶を思い出しながら、何とか全体的なイメージにまとめたものですので、ご了承下さい。)
結んで鈴なりにした「ゴミ袋」を、バイクの膝元のフックに掛けて、みかん畑の焼き場まで運んだ。ゴミ袋の取っ手の結び目をほどいて、逆さまにして、焼き場にゴミを積み上げた。
マッチ棒を擦って火を点けると、すぐに勢い良く燃え上がった。ビニール系の包装が、焼けると、時々白い煙が黒い煙に変わった。
ひととおり、燃え尽きてしまうと、すぐ横に雨水を溜めた「水ガメ」の中に、小屋から持って来た、古い「片手鍋」を突っ込んで、溜め水をすくいあげて、燃え残りの炭と灰の周りに何倍も、丁寧に水をかけて、帰り支度をした。
山の神様に、手を合わせて、火の後始末をお願いして、みかん畑を下りた。曲がりくねった細い山道を下って、入口の舗道に停めていたバイクに戻った。
ハンドル ミラーに掛けていたヘルメットをかぶり、シートにまたがり、エンジンをかけた。小高い狭い舗道を抜けてから、右折して、高架線の陸橋に沿った、広い舗道に入り、帰路に向かった。
少し走って、「ふく福の里」の手前の交差点に近づくと、1人の初老の男性が立っていた。どうやら、バイクを走らせた私を待ってたかのように、急に手を上げて、道の真ん中に身を乗り出し、通路を遮った。「すみません。」と、停止して止まるように促し、声をかけてきた。
「ちょっと、ご免なさい。ちょっと、止まって。」「ん?。な、何かな…。」 驚いてブレーキをかけて、ぎりぎり、手前で止まった。「すいません、今、そこでゴミを燃やされたのは貴方ですかね?。」「え、そうですが、何か?。」
「いやー、さっき、ある人から連絡が入ってね。「山の林の中から「白い煙」が上がっとる。誰か火を燃やした人がいるか、ちょっと、確認して見にいってくれんやろか?。」って言われて、急いで様子を見に来たんですよ。」
「あー、それは、どうも、心配をおかけして、すみません。でも、ちゃんと燃やしたあとは、周りにたっぷり水をかけて、しっかり火の後始末はしてますから。安心して下さい。」「あーー、そうですか?。」
「あれ?、えっと、お宅はどなた?。見た事ない顔だけど、ここの地元のかたですか?。」「はい、そこの浜のほうに昔から住んどります。」「あ、そうなんですか?。」
「家から山の麓を見ると、確かに「白い煙」が上がっとるけん、「まさか、「山火事」じゃ無かろうか…。」と、心配になって、急いで見に来た処なんですよ。」「あ、それは、ご苦労様です。」
「煙の上がっとる林の、すぐ下の道にバイクが停めてあったけん、(あ、ひょっとしたら、たぶん、この人のもんじゃなかろうか…?。ちょっと事情ば聞こうか?。)と思うて待っとったとです。」「あー、そういう事ですか?。はい、確かに、たった今、うちの畑でゴミを焼却し終わった処です。」
「あの林の中に、お宅の畑があるんですか?。」「はい。あの、こんもりした山は、「赤岸」と呼ばれていて、うちの「みかん畑」があるんです。」「あ、お宅の名前は、何と仰るんですか?。」「あ、私は今#と言います。」
2、
「あ、そうですか、私は「○中」と申します。貴方の家はどちらですか?。」「浜の橋のすぐそばです。」「ああ、そうですか。私は今度、新しく「ここの区長」になりましたと。」「あー、貴方が新しい「区長」さんですか?。え、あら、お宅は、昔からこの地元のかたですか?。」
「はい、そこの小学校、中学校に通ってました。」「えー、そうですか、今、おいくつですか?。」「もう、70歳です。」「あれ?、私のひとつうえかなあ?。今まで、一度も、お会いした事は無いですよね。」「うーん、そうですね。私も、貴方の顔は知らんねー。」
「はい、私は、内気で非常におとなしい子供で、目立たない地味な少年でしたから。」「あ、うちの近くにも、後輩の「○藤」という、頭のいいのがいるけど、ひょっとしたら知っとる?。」「うーん?。あ…。」 「秀才」だった同級生の1人の顔が浮かんだ。
「あの、失礼な質問ですけど、お宅が、「区長」に選ばれた理由は、何ですか?。」「他に誰もやる人がいなかったからねー。仕方なく引き受けたんです。」「へー、何かこじれた話とか、「うまくまとめる力があって、「区長」に選ばれたのかなあ。」、と思いまして…。それなら、丁度良かった。ここでお会いする事が出来て。我が家の抱えた、深刻な事情を説明する手間が省けましたよ。」
「え?、どういう事ですか?。」「いや、いちど、新しい「区長」さんにお会いして、(うちの抱える、深刻な事情を説明しておいた方がいいのかなあー。)と思っていたんですよね。」「ほう。」
「実は、十数年前に我が家の玄関に、向かいの家の車が飛び込んで来て、突入した、大変な事故があってですね。」「あー、はい。」
「そんで、玄関の柱にぶつかって、敷石からズラして傾けたので、「倒壊する危険性が発生」した事を訴えたんですよ。」「はい。」
短い時間に、ゴミ焼却を自分の畑に持っていって、処分するようになるまでの経緯と、我が家の抱える深刻な事情を、かいつまんで新しい「区長」に説明する事が出来た。
----------- 解 説 -----------
「昔、隣の屋根からの雨水で、腐ってスポンジ状になった、柱の下部を切断して、何本も「継ぎ柱」をしている家である事を、母から話を聞いていたので、「調査員」と「修理業社」の大工に、その話をして注意を促した。
大工が「ズレた柱は、コンコンと叩けば、すぐ直ります。」と簡単に言うので、「修理に入る前には、柱の状態をよく調べて下さい。」と注意して、「1度、床下の状態を確認して下さい。」と何度もお願いしたが、「調査員」も「修理業社」も、全然、信じて貰えず、確認をしようともしなかった。
仕方なく、それを証明する為に、畳と床板をはずして、床下の柱の「継ぎ柱」の状態を写真撮影して、衝撃で壁土が落下している様子や、亀裂が走っている壁も、写真付きで丁寧に説明して、「損害立証」して、証拠を提示した。
しかし、あくどい「損保」は、裁判所に「損害立証」を完全に無視させていく。「債務不存在確認請求事件」という、理由の判らない「訴訟名」で、事故の状況を知らない「加害者」に提訴させた。
「損害立証」した内容を見れば、確実に「債務」が存在している事は明らかなのに、訴訟を撤回するどころか、逆に、強引に、根拠の無い、違法な「インチキな訴訟名」を、押し進めていった。
明確に「損害立証」して債務が発生した事を示したHP(ホームページ)の内容を、「書記官」だけに秘密で知らせた。ところが、秘密で教えた筈のアドレスを、この裏切り者の「書記官」に、見事に悪用されてしまった。
その「書記官」は、損害立証した秘密のアドレスを、「辞め判弁護士」にすぐに伝えたようだ。その日の日付で、「高橋法律事務所」から、「抗議と警告」の手紙が送られてきた。
「HP(ホームページ)で、勝手に「加害者」の名前や住所などの「個人情報」を公に流した。」として、「訴訟問題に発展する恐れがあるので、警告します。」という内容だった。
これは、完全にルール違反で、中立である筈の、裁判所の職員がやる行為ではない。だが、この時から、既に秘密裏に、「名誉毀損」で逆に「別件」で提訴され、手続きが進んでいた。損保が依頼した「辞め判弁護士」が、やってはならない事を、別の「書記官」に進めさせていた。
「被害者」が、「加害者」側に逆に訴えられているのは理解不能だ。 加害者の代理弁護士が「謝罪広告」を新聞に出せ。」とか言って、無理難題の言いがかりをつけてきた。
本来、払うべき「賠償金」をチャラにする為に、「別件」を捏造して、高額な金額に釣り上げて、「相殺」を企む謀だ。結局、「弁済処置」で「相殺」されて、母の「年金通帳」から、毎回、高額のお金が、分割で無断で預金から引き落とされていく事になっていった。
とうとう、「突入事故」が、最悪の「差押サギ事件」に発展していく。、未だに玄関の修理も、「被害者」にやらせて、1円たりとも賠償もされずに、平然と、今日まで「往来危険」が放置される事になった。
玄関の横の縁側のガラス戸には、事情を説明した「貼紙」をベタベタと貼っている。「区長」ならば、この家の事は、既にご存知で、全く知らない筈は無い。
「加害者」の家族達も、「貼紙」を見て、説明をよく読めば、事の真相が判る筈なのだが、一切、真相を聞いて来る事もないし、謝罪もしてこない。うちは、「保険会社」と「弁護士」に一切、任せてますけん。」と言い張っている。
目の前に住んでいる「被害者」とは、絶対に話しをしないように、「損保」や「弁護士」に止められているようだ。被害を与えた「加害者」なのに、何て卑劣で、無責任な家であろうか?。
今までの、「損保」の、卑劣極まる、ひどい対応の経緯は、私のHP(ホームページ)で詳しく見ることが出来る。QRコードも貼っているので、携帯電話でアドレスを読み込んで頂ければ、じっくりと閲覧することが可能だ。「ひどい差押サギ」の事件の真相が、詳細に判るので。ぜひ、ご覧下さい。
3、
そういう事で、「区費」や「組合費」を払わない事態に至った。 90歳を過ぎた母が、「こんなデタラメな裁判に呼び出されて、これ以上、法廷で意見を言うのは、うちは、もう、きつかばい。」と言うので、「じゃあ、判った。僕が母さんの代わりに「被告席」にすわるよ。堂々とキッパリと意見をするよ。」と言って、「書記官」にも相談して、バトンタッチする事を示した。
「母の容態が急に悪くなったので、どうしたらいいですか?。」と聞くと、「それじゃあ、息子さんが「被告人」として、立たれるんなら、まず、「訴訟ぶつ」である、「家の名義変更の手続き」をして下さい。」と、「猿渡り書記官」が、対策をアドバイスしてくれた。私は「書記官」の言葉をそのまま、素直に信じて、手続きの準備をしていった。
それから、「最終弁論」の日に、間に合うように、急いで、「二丈町の役場に行って、正式に「住所変更届」と、訴訟物件である「家の所有権の名義変更」をして、「母」から「息子」に「登記手続き」を済ませた。
そうやって、確実に「手続き」を済ませた筈の私に、当日、最終弁論の日に、「貴方は正式な住民じゃない。」と、女性の「藤田裁判官」が言い張った。最終弁論では、「被告席」に息子の私を、絶対に座らせないようにした。
こちらが提出した「登記変更した書類」を、「猿渡り書記官」が、間違いなく受け取っておきながら、「裁判官」には渡さず、自分の法衣の下に隠してしまった、容疑が出てきた。獣の「猿」よりも劣る、ひどい「猿渡り書記官」だ。
「藤田裁判官」も、「耳の遠くなった母に、「お母さん、何か意見は有りますか?。」と、マイクも使わず、わざと小さい声で、何度聞かれても、ほとんど耳が聞こえないから、何も喋れない状態に追い込まれた。「では、意見が無いものとして、閉廷致します。」と、いきなり乱暴に「判定」を下した。この「藤田裁判官」も、高齢の女性に対して、何て卑劣な事をする人間なのか?。判事として、最低の失格者だ。
完全な「だましうち」で、不正な職員たちの悪質極まる、デタラメな法定だった。こんなひどい裁判をするなら、彼らは皆、全員、あとで必ず、ひどい「祟り」と「報い」を受けるだろう。裁判が終わっても、意地になって、私は「猿にも劣る書記官」に強く抗議した。
女性の「藤田裁判官」は、「被告人はお母さんです。息子さんは黙って下さい!。息子さんは正式な住民では有りません!。」と、言い張って、誤った判定を下してしまった。「福岡裁判所のトップ」には、この誤った「不正な判定」の責任は、きちんと取って頂きたい。
「違法な判定」の「取消し」をするまでは、私はここの地元とは、一切、関係が無い暮らしを貫こう。」、と決意した。その「間違った判定」どおりに、ここの住民としての関わりは一切、絶った。お寺へのお布施も拒否し、「区費も組合費」も払わない事に決めた。それから、ゴミ出しも控えて、自分の家で出したゴミは、みかん畑に持っていって、焼却する事になった。
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解説 おわり ---------
「市役所はどう言っているんですか?。」「私が「解決依頼書」を何十通も出して、「間違った判定をした「裁判所」に、ひとこと、苦言を呈して下さい。」と、何度も何度も、「申し立て」をして来たんです。
だが、「損保」と結託しているのか、「市役所」も一向に埒があきません。」「うーん。そうですか。」「いち市民の小さな力で、巨悪」に立ち向かっても、到底、勝ち目は有りません。何ともなりませんよ。」「うーん。」
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区長さんへ。もし、「どうしても、区費を払え。」と仰るならば。まず、「裁判所」に間違った「判定」を「取消し」をさせてから、来て下さい。彼らにきちんと「過ち」を認めさせて、謝罪をさせた「証文」を書かせて、確かな証拠を持って来られれば、筋の通った話として、すぐにでも払います。区長さん」には、1度お会いして、「詳しく、当方の思いと、事情の説明に伺おうかな。」と思っていた処です。
--------- 解説 おわり ----------
お袋は、「自分の目の黒い内に、この問題は絶対に片づけるぞ。」と言って、意気盛んに提案を出して、色々と、対策を考えては、方々に解決の糸口を求めて相談そていた。
会う人ごとに、愚痴をこぼして、相談して、「何か手は無いか。」と、必死に挑んでいたが、とうとう、足腰が弱り、人の力でベッドから立ち上がる事も出来なくなった。自分の体が思うように動かなくなると、「もう、私は自分の願いを生きて果たす事は、到底無理だ。」と悟るようになりました。
ある日、息子の私の介護を受けながら、突然、母がつぶやきました。「あんた、覚えておきなさいよ。うちが死んだら、飛び廻って、あいつ等の所に飛んでいって、祟ってやるけんね。」「え…。」 私はその恐ろしい言葉を吐いた、お袋の顔を見て、思わずゾッとしました。
その時の顔は、真剣そのもので、決して「痴呆症のボケ老人」の表情ではなかったからだった。憎むべき敵に対して、「あいつ等」、と言う表現した言葉は、以前、どこかで聞いたことがあるな…。」と思って、考えていた。しばらくしてから、「あ、確か、「兄貴」も、死ぬ前に、全く同じ事をつぶやいたことがあった。」 思い出すと、恐ろしさのあまり、私は絶句して、しばらく母に何も言えなかった。
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「すいません、今日は、ちょっと時間が無いので、この辺で。また、いつか機会があれば、続きの、深い話をしましょうね。ではここで、失礼します。」「あー、はい。じゃあ、またね。」 こうして少しの時間だったが、新しい「区長」ときっかけになる、大事な話をして、別れた。
4、
家に帰って、しばらく、用事を済ませたあと、今日、出会った新しい「区長」との話の内容を思い出しながら、ふと、あることを思いついた。
(これは、何か大事な出会いだったのかも知れない。一体、どういう、意味があるのだろうか?。) 「安倍元首相の襲撃事件」以来、急に「何かの大きな力が動き出したような気がする。「区長」が強力な味方になってくれる人になるといいけど、 前の「区長」は、余りにもひどい対応だったから、まだ、未知数だから、今は何とも言えない。」
とにかく、たった1人でもいいから、「味方になって、力を貸して貰える人が現れたのならば心強いし、助かる。」と言うものだ。「区長」を通して、このひどい「差押サギ事件」の真相が、この地元の、すべての家に伝わっていけば、今までの無責任な、とんでもない「逆さまの噂話」が、完全に間違った「悪い噂」だった。として、払拭され、訂正、撤回されていく。
世界のゆがみの象徴的な「雛形」が、グレンとひっくり返って、正されて新しく生まれ変わっていく、大きなキッカケになっていくのかも知れない。
今日は、これまで。
5、
6、 今回は、母は実は、「痴呆症」の老婆を演じていた。という話をします。それは、まだ生前の元気だった頃の話です。私が実家に帰って介護をするようになる前の話である。「白十字病院」に連れていった帰りだった。
家の近くまで来ると、「ちょっと、薬局に寄ってくれんね。」と言うので、浜の中道に入らずに、そのまま、まっすぐ国道を走って、駅前まで向かった。薬局の駐車場に着き、車を停めると、母は、すぐに自分で後部ドアを開けて、1人で元気に降りて、いそいそと、薬局の入口のドアを開けて店の中に入っていった。
母の薬局での買い物に付き合わされるのは、いつもの事で、時間がかかるのには、もう慣れっこだった。何か、世間話をしながら、時間をかけながら、買い物をするので、待たされるのが常だった。私は車を降りずに、ひと息して、座席で少し休んで待っていた。
しばらく休憩して、私もドアを開けて、車の外に出た。駅前の花壇の景色を見ながら背伸びをして、深呼吸して気分を切り替えた。 気持ちを整えてから、私も店の中に入った。母は会計のカウンターの前の、休憩所のイスに座って何か話し込んでいた。「こんにちはー。」「あら、こんにちはー、いらっしゃいませー。」
私は声をかけるとすぐに、店の奥に向かった。別に何か商品を選ぶわけではないが、お客のふりをして、目ぼしい物を探している1人の客を演じた。薬局には、母よりふた回り年下の、愛想のいい、気さくな奥さんがいた。「お姉さん、息子さんがいらっしゃいましたよ。」「ああ、」
つい、息子の事を忘れて、話し込んでいたのに気がついて、母はやおら、立ち上がった。何と、これから買い物が始まるのだった。「さて、どれどれ、今日は何を買いましょうかねー。」と、言いながら杖をつき、買い物カゴを手にして、私の近くに来た。健康器具を見ていた私に、気がつき、「ああ、あんたも腰が悪かったね、良かよ、それ買いなさい。」
カゴを差し出して、私に持たせると、いつも気前が良く、豪快な買い物をする母がいた。何故か薬局に来ると、一層その傾向が強くなるのが不思議であった。特に、後輩のいる店に来ると、あれもこれもと、次々に、切らしていた物を思い出しては、私の持つカゴに入れていった。
「あれは無かったろう。」と言っては、手に取ると、次々にカゴに入れた。マジックリンを見て、「これも、切らしとったろう?。」と聞いた。私は、ふと洗面所の下の、棚の中を思い出した。「あ、確か、それはたくさんあったよ。」と言い返した。
すると、「また、そんなこと言ってから!。」と、声を荒げて私の目を見て叱り出した。私は、思わず母の意外な反応に驚いて、「あ、いや、僕の勘違いだったかなあー…。」と咄嗟に誤魔化して、頼りない自分の記憶を訂正して、謝っていた。その日は、それで無事に買い物は、済んだが、後で、帰ってから、洗面台の下の棚の戸を開けて、確認した。
すると、何と、その、マジックリンのスプレーは、記憶どおりに、たくさん、ゴロゴロと、重なるようにして置いてあった。「あれー、やっぱりか、これは、どういうことなんやろか?。」私は考えた。「これは、痴呆証のせいで、たくさんあるのを忘れて、買っているのではない。」
母は、男気があるというのか、後輩の店が、最近、駅前なのに、さびれてすっかり客が減って、経営が大変な事を聞いてから、お店が潰れないように、少しでも売り上げが上がるようにと、何でも、わざと切らしたフリをして、いつも多めに買ってあげていた事に気がついたのだった。
今日は、これまで。
7、
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9、
10、
11、
12、
13、
14、
つづく。今日は、ここまで。
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編集中
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追 伸 |
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