|
|
|
|
解 説 3 |
|
|
|
|
|
|
|
|
R1/11/19
3:36 |
|
|
■中 ■ 拡大 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ギュスターブ・モロー展 R1/11/24まで
福岡美術館にて
展示案内CM |
|
|
ここで、もう1度、サロメと洗礼ヨハネのその後の続きの話に戻そう。
後半は、2人の結末が余りにも残酷で悲惨な運命を辿る事になるので、絶望を失わないように、少しでも明るくなるような、目出度いピンク色の鯛2匹と黄色い猫の去年起きた話をする事になった。
悲劇と絶望を暗示するような縁起の悪い結末よりも、去年に起きた話の方が縁起が良く、ふさわしく思えたので、気分を切り替える為にも、急きょ変更させて頂いた。
洗礼ヨハネが首を斬られ、お盆に載せられてサロメに渡された後、その生首を手にして、胸に抱きかかえたり、キスをしたり、愛情と裏腹の猟奇的な不埒な踊りをする義理の娘の怪しげな姿をヘロデ王が見ていて、恐怖感を感じ、「殺せ!」と衛兵に密かに小声で命じる。
元々、ヘロデは兄を殺して王座を奪い取った罪を犯していた。(もしかしてその事実を知ったなら、この気の狂った義理の娘にいつ復讐されるか知れない)と恐れたからであった。
さて、この洗礼ヨハネもサロメも結局、死んでしまうという悲劇の結末を踏まえた上で、(もしもサロメが洗礼ヨハネを生きて無事に牢獄から脱け出せていたならどうなっていたのだろうか?)という、逆説的な歴史のイフの世界を想像しながら解説していきたい。
王の命令に背いて囚人を逃がした後で、二人はどこかで落ち合い一緒に王宮の外へ脱け出した。
主の道を備えて、まっすぐにする使命の為に、イエスのいる許に急いで向かう洗礼ヨハネ。サロメも洗礼ヨハネの仕事を共に手伝うことになる筈であった。
もし、洗礼ヨハネについて行き、王女サロメがイエスと会って紹介されていたならば、たちまちサロメはイエスに一目ぼれして、主の虜になってしまったに違いない。
「イエス殿、この方が私を牢獄から救い出してくれたユダヤ王女のサロメさまです」「あ、あなたがサロメ王女なのですか、私の片腕のヨハネの命を救って頂き、ありがとうございます」「いえ、私はヨハネ先生が、「主であるお方の道を備える仕上げの仕事をしなければなりません。貴方も手伝って頂けませんか?」と言われました。私にも主の道を真っ直ぐする仕事をぜひ手伝わせて下さい」とお願いして、私は貴方にお会いしたくてここまで来てしまいました。」
ここに「平和」という名前のサロメ王女はイエスと出会って恋仲になり、宮殿に帰る時、入り婿としてイエスが王宮に入っていく道が備えられていたと気づく。
遠い中東の昔の物語から学びとる教訓があるとしたら、それは何であろうか?。もしも、天の与えられた備えをことごとく充分に生かし切り、活用して失敗しなかったならば、今頃はどんなに平和な世界が到来していたのか?計り知れない。
現在、同じような立場の、監視下と盗聴が続く巨悪の結託の力が支配する牢獄から脱け出させてくれる存在が出現しているのならば、歴史を変えていく偉大なる位置で、重要な役割を果たしていく立場が誰であるか推理頂きたい。
サロメという少女は、実は、ちょっとした心がけで悪女では無く、真逆の
イエスの栄光と誉を掴んで「平和の女神」となった「歴史的な伝説の女性」となったかも知れない。 |
|
|
サロメという名前の語源は「平和」という意味だ。 イエスを「平和の君」として迎え入れた、歴史上、初めての稀に見る「栄光の女王」と言われるようになった可能性があった。
ユダヤという小さな王国の主権は、「王の王」としてイエスが王子として王座に着いた時、初めて「神殿理想」が実現出来たかも知れなかった。
「平和の福音」を受け入れた名誉ある娘の名前は「平和」という名に相応しい女性として、その絵画がたくさん描かれて残ったに違いない。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
小休止 |
|
|
|
|
|
|
|
|
R1/11/19
3:36 |
|
|
■中 ■ 拡大 |
|
|
|
|
|
「即位の祝賀御列のパレード」沿道の人々の歓声と祝福に応える姿 |
|
|
陛下に似てると言われる事があるが恐れ多い |
|
|
|
|
|
R1/10/22
「徳仁天皇陛下・雅子皇后」両陛下が「即位礼正殿の儀」で日本の内外に即位を宣明をされると雨が上がり日が差してきた。
突如、雨雲を押しのけてお台場の空には、皇居をまたぐようにかかった大きな虹の橋。雨上がりの虹、いよいよ晴れ晴れとした「令和の時代」がやって来た。悔い改めよ。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
夜の3時半頃に、天気予報と同時に流されたモロー展の絵画案内。繰り返し紹介される不気味な暗い絵画は、人間として避けるべき、決して遭遇してはならない残念極まる反面教師的な犯罪人になって記憶される瞬間の絵画だ。
ギュスターブ・モローには、こんな薄気味悪い絵では無く、イエスと出会って夫婦となり、良き妻となって喜びに溢れる、幸せなサロメ女王のような王室の風景を明るく何枚も描く画家となったかも知れない。
おぞましい恨みの生首などでは無く、間逆の観るだけで生きる勇気と希望が湧いてくる様な、縁起の良い、お目出度い絵画を何枚も全人類に描いて貰いたかった。
「キリストそっくりの顔に描いた洗礼ヨハネの生首には、一体どんな意図があったのだろうか。
モローは、洗礼ヨハネとイエスが実は兄弟であると次の聖句から感じていたようである。
洗礼ヨハネが生まれてくるまでの経緯は聖書の ルカによる福音書1章39〜56 (旧約 創世記12:1〜3)●こちらを読んで頂きたい。
http://zushikyokai.holy.jp/sermon/ser_111218.html
「受胎告知」は新約聖書の物語の一コマで、マリアに神の子を身ごもった事を天使が告げる話。
ある日、処女のマリアの元に天使ガブリエルが降りる。「おめでとう。あなたは神の子を身ごもりました」と告げる。
彼女は戸惑い「私には婚約者のヨセフがいますが、まだ男の方を知らぬのに、どうして子を産めましょうか?」
天使は「聖霊があなたへ降ります。男の子が産まれたらイエスと名付けなさい。その子はやがて王の王となる」と答えた。マリアはガブリエルの言葉を信じ、神のみ心のままに従う事を決めた。
こうしてマリアは神による「無原罪の御宿り」でキリストを身ごもり、聖母となったと言われている。
このエピソードも色々な画家にとても人気のある主題で、数多くの作品が残されています |
|
|
|
|
|
|
|
|
レオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』(1475年〜1485年)の初期の代表作『受胎告知』は、ヴェロッキオの工房で修行中に描かれたものらしい。 |
|
|
|
|
|
|
■中 ■拡大 |
|
|
レオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』(1475年〜1485年) |
|
|
|
『受胎告知』
ウフィツィ美術館
(イタリア・フィレンツェ) |
|
|
|
|
|
|
|
|
ある日、マリアは決意して立ち上がり、親戚のエリサベトに会いに行くことにした。エリサベトにだけは、(自分の身に起こったことを打ち明けたい)と思った。長い間、子供のいなかったエリサベトには、先に素晴らしい知らせが下りていました。
天使ガブリエルがあのとき、「エリサベトも神の力によって子どもを身ごもり、もう6カ月になっている」と言ったのをマリアは記憶していた。
マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。
マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。
「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子も祝福されています。私の主のお母さまが私の処に来て下さるとは、どういう訳でしょう。
あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
だが、キリスト教会でいわれてきた聖母マリアの処女懐胎は後日、イエスの神性を強調するために作成されたものであるらしい。
理性と論理から考えて、イエスが聖母マリアの処女懐胎によって生まれたのではなく、祭司ザカリアとマリア(ヨセフの許婚)との間に生まれた子供だった。
「ザカリヤ家庭の失敗がイエスに十字架への道を強いる結果となった」という。だがイエスは決して十字架で処刑される為に来たのではなく、この地上に世界平和を構築する為に来た事、イエスの十字架は神の予定ではなかった事、等が明らかになってくる。 |
|
|
|
|
|
ザカリアの家庭には本妻エリザベツと、ヨセフの妻となるべきマリアの3人が登場する。
ザカリアの第1子はエリザベツとの間に生まれた洗礼ヨハネであり、第2子はマリアとの間に生まれたイエス、という構図だ。ザカリア家庭が重要な使命をもっていたことが分る。
イエスの父親が判明することで謎の多いイエスの生涯は明らかになってくる。そして人類の救い主を妾の血統をひく家系から誕生させた神の事情などについて、キブス氏の著書はこれまで封印されてきた内容を読者に提示している。
では洗礼ヨハネが残した教訓は何であろうか?
…つづく
今日はここまで
洗礼ヨハネの立場に立っていると思える存在が一体誰なのかを推理して下さい。お互いの大切な命に関わる重要なカギを握っていることを理解して頂くように全力で説明していきます。
つづきは次回で詳しく書きます。お楽しみに
編集中 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|