切り土の土地。
南区の平和町に、「看板屋」の店舗を出した頃は、兄に保証人になって貰って、始めは、さほど問題なくやっていたが、次第に店舗の状態に色んな問題が有る事に気がついていった。
急な斜面を削って出来た、切り土の土地の上に建った家は、実は湿気がひどくて、駐車場の車庫 兼 作業場の中は、看板を作成する為の工具や道具を棚に並べて置いていたが、湿気で金属の工具や、釘などが、たちまち錆びてしまった。
丈夫な筈のロープも、気がつかない内に、繊維がいつしかボロボロになっていて、ある日、電照看板を設置取り付けする為に、滑車で吊り上げた時に、突然ブチッと切れて落下し、あやうく、悲惨な死亡事故になる処だった事があった。
この店舗は、建てる時に、何と解体後の古い材木を使って、にわか仕立てで建てられた家のようで、まるで倉庫のような内装で、実は、人が住めるようなまともな家では無かった事が判ってきた。
屋根も瓦ではなく、全面トタン屋根で、雨が降ると、「ザーザー」と雨音が激しく、うるさくてテレビの音も、かき消されてまともに見れない程であった。
断熱材も無く、木製の窓ガラスからは隙間風が入って、冬は寒く、夏は屋根からの温熱で、天井から40度の熱風が下りてきて、暑くて暑くて、7月から9月まで、昼間は、ほとんど家の中には居れない程、サウナぶろの状態だった。
「屋根に「断熱材」を入れて下さい。」と、大家さんに頼んでみたが、冷たく拒否されたので、「ならば、家賃をさげて下さい。」と頼んだりもした。
「この家は、まともに人間が快適に住める家の状態ではない。」と抗議をしたが、逆に、「家賃を上げたい。」などと言い出され、大家さんともめた事がある。
この大家さんが、実は大工で、建築業の工務店をやっていながら、「何故、こんなひどい家に、高い家賃を取って住人を住まわせて、平然としてるのか!。」と電話で抗議した事もあった。
「こんな暑くて、夏は居れない家に、断熱材を入れないなら、家賃を払う義務はありませんよ。」
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「人間がまともに住めない家に、家賃は払えないでしょう。」と、言い返した時、「なんかあ!。」と突然、大声を張り上げ、怒鳴りつけ、ガチャンと電話を切った。こうして、話が決裂したまま、仕方無いと思い、やり過ごすしかないのか。と諦めて、何ヶ月かが過ぎた。
新しい地主。
やがて、その大家の息子に代に移った。ある日、突然息子が現れた。「親父が突然亡くなり、私が実家に帰って来て、親父の跡を継ぐことになった息子です。」と言った。
「もし、お宅が家賃がキチンと払えないなら、もう、出ていって下さい。」と宣告されてしまった。
これまで、大家の親父さんともめて来た理由を話して、もの別れになった経緯や事情を詳しく説明したが、「実は、この家は、柱や梁が白蟻でボロボロに穴があいており、かなり危険な状態で、家が倒壊する可能性が出てきた。」と話をすり替えた。
「いつ倒れてもおかしくない。危ないので、来月に解体しますので、今月中にどこか他の店舗を探して引越しして下さい。」と言われた。
仕方なく色々不動産をめぐり、何とか、良さそうな物件が1軒見つかった。
契約の際に必要となる保証人の件で姉の、のふこ夫妻に頼もうとしたが、何故か、つれなく断られた。「何で私があんたの保証人にならんといかんね。」「え…。」「それより田舎に帰っておふくろさんの面倒を看らんね。」と義理の兄。
「うーん…。」(自分の店を持った事が無い者の考えはこんなものなのか…?。)と、落胆した。(今まで築いた、市内での自営の顧客の基盤を大切にしたい。)という思いを理解して貰えない事に、愕然とした。
(折角の、語呂のいい電話番号も、田舎に帰って一旦手放すと、もう使えなくなる。残念だが、お得意さんも、これで捨てるしかないのか…?。)とあきらめて「実家に帰るしかない。」と覚悟した。
大家の息子にも「ならば田舎に帰ったらどうですか?。」と同じ返事を聞かされた。立ち退き料も払わず、「解体の日が決まった。」と一方的に立ち退き期限を切られた。
こう切り返されると、他に道が無くなってしまった。こうして今まで、築いていてきた市内のお得意さんの「顧客」を捨てて田舎に戻る事になった。 |
先入観と烙印。
姉夫婦は弟が独立して店を持った時にも、1回も、お祝いに店を尋ねて来なかった。 その原因は、屋号に「文鮮」という○一教会の教祖の名がついているので、姉は、嫌って玄関に1歩も入らなかったようである。
母を連れて兄がやって来た事が1度あるが、母には家の状態を説明したので、「暑かろうね。」と心配してくれた。
1回でも家の中に入って見てくれていたら、大家さんともめて来た事情が少しでも判ってくれた筈だが、姉夫婦はすでに先入観を持って決め付け、批判ばかりしていた。
「弟は、決められた家賃すらも、きちんと払わない、実に横着な人間だ。」と勝手に烙印を押していた。
大家の息子から、姉夫婦は何か相談されて「お宅の弟さんは困った住人だ。」と一方的な話を聞かされたようである。 |
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兄との約束。
兄は、闘病中に(抗がん剤の支払い代金を下ろして来てくれ。)と私に頼んだことがあった。母が兄に多額の保険に入れていたのか、がんの発症が判明してから、(がん保険の金額が入っている筈だから。)と弟の私に依頼した。
抗がん剤1本が何十万という金額に驚いた。(え、こんなにかかるの?。)(おお、かかるな…。)闘病中に珍しい果物を持って見舞いに行く度に、(おう、この埋め合わせは、後で必ずするからな。)と申し訳なさそうに話した事があった。
兄の言葉は、(何か弟の為になるものを母に託してくれるのかなー…。)とかすかに期待があったが、兄の死後、母の行動には、兄の約束を聞いてなかったのか、埋め合わせどころか、見事に約束を裏切られる事になる。仕事場としては何の役にも立たない家に、余計な手を入れて、保険金のほとんどを使い果たしてしまう。 |
不可解な母。
今更、こんな寂れた田舎に息子が帰って来ても、仕事にはならない狭い家だった。
息子と一緒に暮らしていく出発点は、(本当は市内の何処かに店舗を持って、そのまま看板の仕事を続けられる、母と息子共に幸せな老後を迎えられたかも知れないのに…。)と内心、(気の効いた事を母ならやってくれるかも。)と期待していたが、非常に残念な結果に終わった。
だが、(私には、看板の仕事よりも、何かもっと大きな大切な使命を果たす為に、田舎に戻らなくてはならない宿命があるのだろうか…?。)
母は、息子に長年の課題の、土地問題に最終的な決着を付けさせる為に、あえて人知を超えた見えざる果たすべき、天命のほうを優先させたというのだろうか?。
人間的に見れば、将来、息子の為になる事を考え、母親としてやるべき事が見えない筈は無いと思うが、(ここには人知を超えた何かがある。 |
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今は説明出来ないが、何か、もっと重要な意味があるのかも知れない。)と思い直して、田舎に戻り、不可解な母と暮らすようになった。
「暗闇の力」。
ふり返れば、母はいつも息子の行きたい道を邪魔をして、暗闇に引きづり込む役割ばかりをしてきた。
子供の頃から、毎朝、まだ夜明け前に、階段の下から何度も息子の名前を呼んで起した母。
まだ夜も明けない、真っ暗な真冬の闇夜に息子を急かすように起して、寒空の外に追い出した。
その新聞配達にしてもそうだが、進路の「デザイン学校に行きたい。」と言っても、「絵では、将来食っていけんとよ。」と一喝して邪魔をした。
「工業学校の機械科に進みなさい。」と勝手に決め付けて長い暗闇に息子を追い込み、引きづ、り廻してばかりしてきた不可解な母との憂鬱な記憶の生活に、再び戻ってきてしまった。 |