軽率な陰口
それでも「兄の死に関して、母さん達には責任があるよ。」と責めた事がある。
「何も知らないで10年ぶりに帰って来た兄に一方的な情報を聞かせて、大事なものを見失わせ、判断を狂わせた罪があるよ。」「…。」
一面的にしかモノを見れない、思慮の浅い軽率な姉妹達が話す次元の低い陰口の内容を聞いて、それを真に受けてか、
思春期から言葉を失った自閉症ぎみの弟を見る目が白い目になり、怒りと軽蔑の感情が露わになり、「この宗教かぶれが!。」と罵倒して軽んじる対応に変っていった。
妹達夫婦の4人から弟への極端な陰口を聞かされ、翻弄されて、次第に運勢を失って、倒産、事故、ケガ、入院、死病と次々と悲劇の連鎖へ向かっていった。
兄の人生の転落の概略を説明したが、何故か母は、うっかりして犯した過ちを素直に認めず、何度説明しても「意味がよう判らん。」と全く理解しない不可解な母の頑なな姿があった。
何故、その時の様子を見て、誰も注意しなかったのか、母親として意地の悪い娘達の言動を「控えなさい。」と叱る者は1人もいなかったのか?。
父も母も、兄の判断を狂わせてしまう2人の娘姉妹の毒舌の危険性に気がつかずに生きてきた。
いたわりの心が身につかず、人の欠点や悪口ばかりを吐いてしまう。
闇を背負った幼き者を励まして包み込む優しい思いやりの心を持つ事も無い、やさしさの教育を何処かに放置してきたのではないか?。
巨悪の正体
ロゴ・マーク創作のネットビジネスで、かろうじて収入の道があったが、損保(三井住友海上)からのサイトの妨害を受けて、HPの文章が荒らされてきた。
電話もネットも監視され、公開予定の内容が削除、改ざんされ、遂にはPCが壊され、遠隔操作で文字の入力さへも、抗議の文章を打つ事も一切、不可能になった。
それでも、いかなる困難をも突破して、全てを犠牲にして、いよいよ「巨悪の正体」を暴き、赤鬼の大将の角をへし折り、最後のとどめを刺す戦いをしなければならなくなった。→
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3つの条件
東京での10年ぶりの兄弟の再会から、その後の弟への他人のような冷たい対応になっていった大きな取り違いから、自営していたアルミサッシの会社は倒産の憂き目に転落していく。
その後@、弟の部屋への居候100日、A、交通事故での入院100日、B、白血病で兄が入院した時には、これらの、ことごとく失敗してきた全ての条件を、一気に挽回する筈の最後のチャンスが与えられた。
「(もし3つの事を守れたら兄の命は助かる。)という啓示が降りて来た時「母さん、絶対に何としてでも守ってね。」と私は必死に母に訴えたが、残念ながらこの「3つの条件」はとうとう守られずに終わった。
正すべきは @、は床の間。 A、は梅の木。 そして最後の条件の B、が(畑の所有権を弟に移せ。)という条件。だが果たされずに、最後に起きてしまった悲劇。
(所有権さへ与えられたなら、絶対に切らせない。)という弟としての固い決意があったが、竹やぶになった畑の中に育った兄を象徴する神木の「タラの木」は、母が畑の権利を譲ろうとしない事で危険が迫っていた。
「竹やぶと化した畑の草刈りは責任を持ってやるから「畑の所有権」を譲ってくれんね。」と言うと「そんな馬鹿な事を。うちが草刈するけんよか!」と言い出した。
啓示の3つ目が母の誤解で叶わなくなってしまう。条件の3つ目が母のこだわりで拒否された。「うちを畑に連れて行きなさい。」腰の曲がった高齢の母が頑として塞がった。軍手をしてカマを持った母は竹やぶを刈り始めた。
仕方なく手伝うしかなかった。瞬く間に竹や笹は刈り取られて大空が見えてきた。「タラの木」が高くそびえて現れた。
それからしばらくして、突然、「お宅の畑に生えている「タラの木」を譲って下さい。」という電話があった。
近所の人から「売ってくれ。」と言われて、母はたった5千円で売り渡して、「タラの木」の大木は切り倒されてしまった。
「(タラの木は神木)だから絶対に切ってはいかんよ!。」と啓示が降りた事を話して、きつく釘を刺したのにも関わらず、ある日「(餅をつくキネを作りたいのでお宅の畑に生えている「タラの木」を売ってくれませんか?。)とある人から電話があったので売ってしまったよ。」と平然と話したので、急いで畑に行って見ると無残に根元から切り倒されていた。
その後、兄は急速に病状が悪化して死んでいった。私はあきれて(こんな分からず屋の母とはもう2度と関わるまい…。)と決めていた。その後、決意していたのに、何故か今、こうして一緒に住み、認知症が進んだ母の介護をする結果になってしまった。
それは青春時代に左翼思想や宗教にかぶれて(気苦労ばかりかけてきた親不孝な息子の自分が、せめてもの、罪滅ぼしの恩返しをする時が今、来たのかも知れない…。)と、この宿命を仕方なく受け入れていた。 |
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翻弄する母
兄を死に追い込んでいった無知と無理解。説明した筈の重大なメッセージを軽んじた結果、起きてしまった悲劇に、謝罪もせず反省も教訓も見出せない母に、静かな「怒りとあきらめ」の混ざった複雑な気持ちが入り混じっていた。
兄の人生だけでなく我が身も、とてつもない悲劇の舞台に引きづり込む母が、何十年かぶりに再び目の前に現れていた。(ああ、またしても母の不可解な力に、私の人生は引きづり廻されるのかも知れない…)と大きな不安が脳裏によぎった。
案の定、私は母の無意識の暗い闇の仕組みに飲み込まれていく事になる。母によって青春時代を振り回されて来たのは兄も同じだった。
母が心臓麻痺で亡くなった時、私はようやく長い母の歪みの柵(しがらみ)から解放された。否、確かにようやく解放されたとは言えども、その結果、跡に残されたものは未解決の問題だらけの傾いた危険な家。
田舎の実家に1人だけ、正式な住民の資格も失ったまま、仕事も家族の絆も全てを失った孤立化した初老の男の惨めな姿があるだけになってしまった。
こうして母は息子を田舎に帰らせて、悲惨な無収入の不安に追い込んで亡くなっていった。
今、この故郷に1人残された結果を考えれば、事故以来、実家の母や弟を見捨てて裏切った2人の姉妹の姿も、この母親の正体も、ここに来てその不可解だらけだった正体が突然、おぼろげに見えてきた。 |
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日本を暗闇に引きづり込む得体の知れない世界の闇の力を演じた母。また日本を取り巻く脅威を与える隣の2つの国(シナ・チョン)を演じる存在が2人の姉妹であること。
何10年もの間、歪んだ誤れる価値観を持つ相手と、ただ仲良くする事は許されず、筋道を通す事を学ばせ、生き方をただすべき相手であり、我ら姉妹と弟の演じるべき仕組まれた宿命である。
日本を必要以上に悪く言う中共や朝鮮などの醜い隣国を徹底的に演じ切って、最後には改心して降参して貰わねばならない。親族達もアジアの周辺諸国を表しており、歴史の真相を知って歴史観を取り違えた認識を新たにする立場である。
今、気がつくと、友人も恋人も、仕事先の顧客も収入の道も失い、何もかも失って、餓死寸前の生死をかけた「鬼退治」のとどめを果たす為に、ギリギリの最後の厳しい苦難に追い込まれていった。
大陸から離れた孤島の日本。特殊な使命を抱き、周辺諸国とは全く異質な文明を持った神の国。もしもこの日本の象徴の雛形を生きる宿命の立場にあるならば、たとへどんなに1人ぼっちで悲しい孤立の道であっても、決して恐れず、わが道を信じて貫いて行くしかない。
歳を重ねても、この世の世間体や常識を超えて、若き日からの歴史の真実の探究、巨悪の正体の謎解きの為に全てをかけていく。 |
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母のこだわり
兄が亡くなった後、母は誰もいなくなった家に1人残されて、淋しい老後を過ごしていたが、突然、台所や小屋を建て直す事を思いついた。
まず小屋の中の道具を片付けだした。姉達にも手伝うように促した。里帰りする度、姉夫婦は片づけを手伝っていた。
こうして小屋と台所を解体した跡の裏の空地に、トラックが入り、材木など資材を搬入して、雨漏りだらけの台所を建て直した。
この時に積年の未解決だった井戸との交換条件で長年使用していた「裏の土地を買い取る。」という話が既に出来ていた。
あとはお金を払って領収書を貰うだけになっていた。母は何故か、姉の夫に「息子1人で行かせるのは頼りないから、付き添いで決着をつけるのを見届けて貰いたい。」と依頼した。
母から分厚い札束の土地代を預かった義理の兄と共に、私は一緒にワタブンの元旅館だった家に向かった。
話はすっかり出来ていたようで、玄関から中に通された。早速、代金の入った封筒の札束を渡すと、「確かに受取りました。」と領収書に素早くサインをしてくれた。「受取書」を貰ってすぐに話は終わった。
この土地問題に終止符を打つ大仕事を終えて、その労をねぎらって、母は姉妹夫婦と息子に各自10万円づつ分け与えた。
姉夫婦は何故か、(もっと多額の金額を貰える筈だ。)と過大な期待していたのか、それから、彼らは母に対して不満げな顔をするようになり、次第に不服や文句ばかり言うようになった。
「お母さん、古い車で仕事している息子さんに、新車を買えるぐらいのお金を分けてあげたらどうですか?。」と義弟にかこつけて提案したりした。
今更、田舎の家を建て直して兄の残した保険金を使い果たす身勝手な母の対応に対して強い不満が出ていた。
特に姉は「こんな役に立たない田舎の不便な家に手をかけて、今更、年寄りが子供達の誰1人も喜ばない事ばかりしてどうするとね?。」
「無駄遣いして浪費しないで、万一の時の為に、現金を残して置けばいいとに…。」と、姉は自分の意見を全く聞かない母に激しく不平不満ばかり言うようになり、母親への一層の苛立ちと憎しみ、諦めと罵倒へと変っていった。→ |
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兄の保険金
保険金は兄が自分で入っていた訳ではなく、実は母が勝手に兄に高額なガン保険に入れていた。
従ってこの保険金の使い道については、受取人として母がどのように使うかは、誰も文句のつけようが無かった。
それでも身勝手過ぎる母が、煩わしい片付けを手伝わせるだけ手伝わして、周りをかき回して、きちんとその労をねぎらうだけの、納得できる報酬を返していなかったのかも知れない。
その後、姉夫婦達は、次第に母の言う事を聞かなくなっていった。
こうした中で、我家に車が突入して、交渉が決裂した時に、何故か姉妹夫婦たちは、実家の危機に対して、冷たく見放すような対応をするようになっていた。
身内として、実家に起こった事故に対して他人のような言動をするようになっていった。母と弟を助けるような気持ちがすっかり無くなっていた。
それまでは盆と正月には実家に行き来していた。必ずご仏前に線香をあげ、母の手料理を食べて帰っていた。
だが、彼らは姉妹夫婦で何か意見を一致させて、母とは距離を置き始めていた。
調査員の仕事をしていた下の姉の夫に「再調査」を依頼したが、「うちは入れんよ。」と下の姉夫婦に拒否され、母の願いや頼み事は一切無視されていった。
人はへそを曲げると母親をも見殺しにする事も厭わなくなるのか?。
姉妹夫婦は仕返しの心で意気投合して、不払いの「損保」に協力して、母を何処までも困らせる人間になっていった。
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