「ロシア」が、「ウクライナ」に侵攻して、はや、6ヶ月目になる本日、(8月/24日)は かつての「ソ連」が満州に派遣された「日本軍兵士達」をシベリア抑留で強制労働の拘束を決定した日だ。
77年前に、突如、「ソ連」は「米国」に促されて「日ソ不可侵条約」を、一方的に破棄し、満州、北方領土に侵攻し、択捉、国後、歯舞、色丹の島民達の生命と日本の固有の領土を奪った。
「日本の北部、北海道を侵略されて、ソ連に分割占領で奪われないように、食い止める必要性が迫って、急いで「原爆」を落とさねばならなくなった。」と、米国は言い訳をしているようだ。
「本土決戦に至り、これ以上、米兵に多大な犠牲が出ないようにする為に、一刻も早く、「日本」に無条件降伏させる、緊急な事情が発生して、「原爆の投下」の決断は避けられなかった。」と、言う。
当時、西欧列強諸国の植民地化政策から、アジア大陸を守ろうとしていた日本。明治維新を起こしてまもなく、日韓併合、満州国建設、大東亜共栄圏を目指して、アジアの諸国の結束を目指して、世界の平和を実現しつつあった。
目覚しい勢いで、「西欧」にも負けない力をつけて来た日本に、脅威を感じ、言いがかりをつけて、「こちらにもよこせ!。」と圧力をかけてきたアメリカが、「中国から手を引け!。」と石油禁輸など、嫌がらせをしてきた。
アジアへの「植民地支配」を諦めないイギリスの罪よりも、「日本に植民地化されて困っている。」と、嘘をつく中国に、まんまと騙され、大東亜戦争に介入した「米国」の罪。鬼どもの連合国側が結託して、日本を敵視して、「卑劣で野蛮で卑怯な国。」とプロパガンダを流して、貶めて、「ジャップ!。」と呼び、孤立化させて追い込んでいった。
「戦争 で奪われた「北方領土」は、戦争で奪い返すしかない!。」という意見が、議員から出たりする中、根気強く「日露経済協力」で、ロシアには大きな恩を売って、後々、「北方領土」を返して頂く方向を考えて、忍耐強く「種」を撒いていたらしい安倍元首相も、突然、銃弾に倒れてしまった。
在日の宗教法人、旧統一教会に関係する、「売国政治家」の葬儀を、国葬にして国税を使うべきか?、賛否が問われる今、この在日の宗教団体の正体が、一体何なのか、徹底的に調査すべき時が来た。
この組織は、「霊感商法」など、多額の献金を集めては、「韓国」に送金する、実に怪しい「反社会的な団体」である。政治家達に取り込んで、莫大な国家予算まで、手をつけて狙って来ている。「この団体の歪んだ教義に惑わされ続ける、売国者達の洗脳を解き、目覚めさせる者が誰かいないのか?。」と、世直しの本物の見解を求める時代が近づいて来た。
「世界を救う為に再臨する。」と言われる「救世主」=メシヤが現れる国(選民)は韓国だ。」と、彼らは「偽りの教義」を信じて、忠誠を尽くして、活動しているが、今こそ、一から考え直すべき時が来たようだ。
今、「カルト宗教の教義。」と「共産主義の思想」。が結託して、自由社会を恫喝し、民主主義の平和の秩序を乱して、脅かすまでに至ってしまった。
「番頭殿よ!。しっかりして下されよ。」と「ひつく神示」では。在日のしたたかな企みに惑わされる、「政治家」を叱責されている。 世界が結託して日本に攻めて来る。その時が近づいているのだ。今こそ、骨抜きになってしまった、日本の「政治家達」の心に、「喝!」を入れて、失ってしまった、大和魂を取り戻させなければならなくなった。
鬼退治の舞台は、日本列島である。列島の地形の中で、東西に分かれて、激しい闘いが既に始まっている事にお気づきだろうか?。コロナウィルスの爆発的感染、地震、猛暑、台風、雷雨、線状降水帯による集中豪雨、土砂崩れ、冠水、洪水、床下浸水、突風、雹、竜巻が次々と襲っている。
例年の、南九州を通る台風の進路が変わり、今年は関東、東海、東北、北陸方面に前線が移動して、何十年か、ぶりに橋の崩落など、大きな被害を出している。
「西日本では猛暑が続き、水不足なのに、東日本では大雨が降って大災害。今年の夏は異常な暑さだった。ようやくお盆を過ぎて、暑さが少し和らいで来た。
今、日本民族の全ての人達が、東と西に分かれて闘っている。東北の「鬼の地形」と、「犬、猿、雉」の3匹の動物の地形。家来のお供を引き連れて、鬼退治をする「大峠」を通過している。日本民族は全員、「日本列島」という「舞台」の出演者である。」 この昔話は、今の時代を判りやすく説明するのに最適な「例え話」である。
「鬼ヶ島」には「赤鬼」や「青鬼」ばかりではなく、色んな色の鬼がいる。共産主義の赤い中共やロシア、民主側の宗教の「青い鬼」や「白い鬼」などがいる。アメリカ、イギリス、EU諸国…などの在日精力もいる。
「日本」には、終りの日に、「鬼」と化した世界の色々な国々と闘い、世界の大洗濯、大掃除をして、きれいな地球にして清め、取り戻さねばならない。」という「偉大で難解な使命」が託されている。
これは天のしかけ、天のシナリオであり、全てに抜かり無く、「備え」がしてある。
「悪神どもよ、存分にかかって参れ!。」と、言われる以上は、「充分な「隠し玉」が用意されているので、安心して待つように。」という事で、心強いものがある。
「こういう大峠の日がやって来る事は、前々から事前に知らせておく。気も無い時から、知らせておくぞ。よく読んで、心で捉えて下されば判る。」とある。
「その時、自分が何をなすべきかは、自動的に悟れる。」という意味であろう。(胴体・尻尾)の「西区」と、(後ろ足)の「早良区」を、「糸島市」に吸収、融合して、犬の地形の全体を取り戻して、完全な体を取り戻す事が、「準実体」の「糸島市」に求められている。
その時に、「象徴」と「準実体」と「実体の世界」は連動していく。「個人」と、「糸島市」、と「ウクライナ国家」は、同時に失ったものを取り戻していく。
今、「ウクライナ」は反撃して、6年前に奪われた「クリミア半島」を取り戻そうとしている。「世界の秩序を取り戻す為には、どうしてもやらねばならない。」と、ゼレンスキー大統領は、世界に向けて宣言した。
「ウクライナ」よりも前に、「糸島市」は「胴体・尻尾」と「うしろ足」を奪われた形をしている。どちらも「東部」と「南部」を奪われて、不自由な体で許容している。だが、戦況が変わり、西欧やアメリカからの軍事支援を受けて、一気に反撃しようとしている。
「これは、決して夢ではなく、現実的で達成可能な兆しである。」と西欧の国々も希望を持って、期待するようになって来ている。最早、ロシアはもう、大半の兵士も攻撃力も失って、退去するしか無くなっている。
「実体の世界」でも、兆しが現れているのだから、「象徴的な立場」でも、「準実体の立場」でも、既に同じ状態が起こっている筈である。この先、対応を誤れば、実に悲惨な末路が待っている事を早く悟るべきである。「どうか、見事な「改心する鬼」を演じて下されよ。」と「ひつく神示」で何度も何度も念を押して、申されている通りである。
天に選ばれたひとつの家族、一つの市、一つの国に、背負わされた大切な使命がある。たとえ、どんなに苦しくても、改心をしたくなくても、神のシナリオは、容赦なく前にどんどん進んでいく。いかに逃げようとしても、絶対に逃れる事が出来ない。縁ある魂に不思議な見事な仕掛けがしてある。
備えられた、縁のある人間なら、必ずや示しているメッセージの意味を理解し、やるべき事を自然に悟れるし、自発的に大切な使命を果たせるようになる。とある。
「我を捨てて、素直な気持ちで読んで頂ければ、これまで言って来た「例え話」の深い意味が見えてくる。」とある。縁があり、備えられた、象徴的な「雛形」の立場に立つ人は、大変重要な人物である。
今まで、全く何もして来なかった事をしなければならないし、妥協しないまま頑固に生きて来た昔の自分を、改めなければならない。ここは苦しくても、乗り超えて下され。
兄の残した教訓は、失敗と無念の悔しさだ。「東京では、世話になったな、すまなかった。」と、そのたったひとことが言えなかった事だ。一緒に手伝ってくれている間に、勇気を出して、きちんと謝罪が出来ていれば、もっと長生きして、兄弟仲良く、共に大切な使命を果たしていけた筈だった。
兄の悲劇のエピソードを少しだけ説明したが、話を知って悟った以上、これを大切な反省、教訓として、活かすしかない。なかなか聞けない「謎解き」の奥義を、兄の代わりに、生き残って悟り、その上で、課せられた使命を、全く果たさないまま、死ねるか?。
課題を果たせずに死ぬと、どうなるのかは、猫の死が示してくれている。人間が猫の体に憑依して償わなければならない立場は、とてももどかしい世界である。
言葉を喋れない動物の体を借りて、この世に下りて甦り、謝罪をして償いをする。生前にやり残した多くの課題を、ある限られた期間に、無念の想いを晴らして、信頼を取り戻す事が如何に困難であるのか。冷たい仕打ちをして、つらく当たった生前の自分の過ちを、今度は逆の立場で身を持って、受けねばならない立場は、本当に厳しい世界。息子に叩かれ、怒鳴られ、嫌われ罵倒されるなんて、何と難儀な事であろうか?。
我が家に起こった奇跡は、猫達による不思議な行動である。飼い主の私との、独特の関わり方があった。猫の鋭い目と耳を借りて、聞き耳を当てていた姿。生前には聞けなかった話を、電話する傍にいつのまにか近づいて、「具体的に、どういう意味なのか?。」を探ろうとしていた、猫の不思議な姿があった。
「おとぎ話」の中に、人間ではなく動物を登場させている意味は何であろうか?。桃太郎のお供の、3匹の家来の動物達は、終りの日に、地上人に憑依する、必然の復讐する為に現れた英霊達である。
70数年前、アジア諸国に派兵されて、無残に戦死して散った、何十万人という多くの浮かばれない英霊達が甦り、無くした宝を取り戻そうと、この「糸島」という「犬の地形(龍の頭)に集まって来ている。
注連縄を張った、「二見が浦」を背にして写っていた、糸島出身の「義勇兵」達が甦り、今の時代を見つめている。元こうの防塁蹟の石垣で、命がけで国を守る為に戦って倒れた「防人達」。殉死した鎌倉の武士達も、時代を超えて集まって来ている。
たとえ、いかに力持ちの強靭な体を持つ鬼のような存在でも、この積年の強い恨みの英霊達の怨霊の力に、誰もかなう筈はない。これが、「最後の闘い」で「抜かり無い仕掛けがしてある。」という意味を示している。
然るに、「鬼達よ、もう観念なされよ。」人類が「悪魔の思想、宗教」から卒業し、地上に平和をもたらす新しい時代が間近に来ている。歴史的に惑わし続けて来た悪魔の「思想と教義」で造りあげた悪の国家を、この地球上から消滅させる時が近づいている。
歴史的な過ち、世界を不幸にする、間違った教義、カルト的イデオロギーが人類を惑わし、不自由と地獄の海に突き落とす、やっかいな存在(人間、集団、民族、国家)を目覚めさせ、改心させる「大峠」が近づいて来ている。
ロシアのウクライナ侵攻は、専制国家のプーチン政権が犯した暴挙だが、「70歳の老人が一体、今まで何を学んで来たのか?。」と世界中が呆れ驚いている。だが、何十年も長い期間、悪い環境で平然と生きていると、こうなる。という悪い例の最悪の結果である。
歪んだ社会に適合して、長く生きていると、新しい時代が来ていても、対応出来ずに古い手法で、強引に横暴を振るう人間が出来上がってしまう。という教訓である。
人に対して、ひどい事をしても、謝罪もお詫びもしないまま。平然として、正当化して言い訳ばかりして逃げる、卑怯な存在になっている己の醜い姿に、気づかず済ます人間も、組織も、国も、「最低」だ。
アメリカも、ロシアも、中共も、北朝鮮も韓国も、本来、自分達が犯した過ちを、深く反省して、謝罪をすべき処であるが、犯した過ちに気が付いても、「申し訳なかった。」と謙虚に謝る勇気も持てない様子だ。
この「謝る事」をしないまま、平然と生きる存在を「鬼」と表現するなら、「鬼の国」は、自身が犯した犯罪の全責任を負わなければならない。力で「われよし」の国策だけを押し通す、野蛮なやり方は、古臭い過去の物で、21世紀の今の時代に許される事が有ってはならない。
時代遅れのやり方を、いつまでも続けようとする、けしからぬ個人、組織、国家を地球から一掃する時が急に近づいて来た。貴方がたの出番も近づいている。 こんなチャンスは、そう滅多に来るものではないが、その価値が判らないまま、逃してしまう、残念な事が起こる事もあるが、こんな事は極力、避けて頂きたいものだ。
日本を立て直す「雛形」を演じる象徴的存在の立場は、無くした健康、切れた
じん帯、脊髄損傷、骨折した足の治療不備で起きた、歩行困難も元の健康状態に完治させねばならないが、放置されたままだ。
脊髄損傷の画像の診断ミス、左足首の骨折の治療ミスを犯した「くどう外科クリニック」に対する、市役所への「解決依頼書」は無視され、人権侵害が放置されている。
「MRI」や「CTスキャン」の画像を病院から受取った担当職員。その時に、重傷で深刻な症状を確認出来た筈なのに、その診断結果を把握していながら、知らないふりをして、放置している職員は言語道断である。
これは、「病院で診断を受けて下さい。」と指示した担当職員全てに、責任が問われる問題である。撮影を受けた本人に、何の診断も説明もなく、「帰っていいです。」という病院の医師もおかしな対応だが、市役所の職員も、なすべき本来の対応をしていない。
私1人の個人の体の腰骨と足首が、損傷した状態で、今まで長年放置されてきた。私自身もまた「ウクライナ」や「糸島市」と同じように、体の下半分を負傷し、本来の機能を失っている。
取り戻すべき、失われた「下半身」を1度失った立場から、回復して健全な肉体に治すべき立場に立たされている事に気づく。 これが、「市役所」宛に「解決依頼書」を何十通も書いて、病院と保険会社との交渉を依頼した理由である。
「糸島市役所」の立っている位置は、「準実体」の重要な使命を果たす位置にある。課せられた個人の、「象徴的立場」も、世界の「実体的立場」も、その両方の運命を握っている、責任重大な立場だ。
いち、生活保護者の課題と、世界の課題を、同時に解決していける立場にある。「準実体」の立場に立つ、市役所の位置を、まだそれ程自覚していない様子で、今回、更に繰り返し、説明が必要になった。
「市役所」は、私の姉達2人に、正しい対応を迫り、改心させる責任があるし、逆に、私の姉達2人も又、「市役所」に「正しい対応をするように。」と、ひとこと苦言を呈すべき立場を自覚する事が重要である。
一体、自分達が何をすればいいのか、まだ見えていない様子なので、やむなく、「皆まで言うな!。」と言われる事を承知で、念入りに解説する事にした。
今まで、私の話を聞いて来て、真面目に考えていれば、話の核心部分がすぐに理解出来て、ピンとくる処であるが、残念ながら「悟れる心。」を与えられていないようだ。
「こんな事は言えない。」とか、「出来ない。しない。」とか言うのが、今までの対応だったが、最早、そんな甘えた事を言っている場合ではない。もし、果たせないままに放置すれば、最悪の事態が訪れて、悲劇に見舞われる事は既にお判りの事だと思う。
これは、二者択一の選択肢しかない、最高か、最低かの。否、天国か、地獄かの、生きるか、死ぬか、究極の選択を迫られる、人生の中でも、最も苦しい決断の日になる筈。
迷っている時間など与えられていないのは、兄が通過した、病床での闘いを彷彿させる内容に近い状態である。高熱にうなされながらも、ひたいから汗を流しながら、生きる時間が残されていない、生死の境で、「真理を探究したい。」と「ひつく神示」の本を必死に何度も読んで、極めようとしていた、兄の姿があった。
兄は、弟の私との関わりで、最後の3度目のチャンスが今、訪れている事に気づき、あと、いくばくもない、残された時間を全力で、本に集中して、「奥義」を極めようとしていた。
兄は、死を意識した時、「早く病気を治し退院して、弟の使命を手伝いたい。」と切に思った。「本を読むのが苦手な弟の役に立ちたい…。」と思い、弟には難しいであろう内容の本を「出来るだけ判りやすく説明してあげよう。」と思うようになっていた。
「神様、どうかあと少しだけ、時間を下さい。この「ひつく神示」を極めたいのです。私に、もう少し寿命を与えて、生きらせて下さい。」と、「実は、今、毎日、手を合わせて天に祈っているんだ。」と、弟の私に打ち明けた。
そして、「すまん、俺はお前の話をもっと謙虚になって、よく聞くべきだった。もう、俺は、あいつらとは話しをせんぞ!。」と言った。2人の妹達の、とんでもない思い違いを、そのまま真に受けてしまい、弟の私の進む道を軽んじて、軽蔑し、罵倒した、過去の過ちに、ようやく気が付いてからの、反省の言葉だった。
10年ぶりに、里帰りして、その蒸発していた間に一体何が起こっていたのか、真相を何も知らずに帰って来て、聞かされる弟への悪口、その後の自身の、弟の私に対する言動が「思想かぶれめ!。俺の目の前をウロチョロするな!。」と、「ひどい中傷、罵倒ばかりだった。」と思い当たった。
東京での、兄と弟の出会いは、他人のような関係のまま、兄弟としての尊い関係にはならなかった。ひどい侮蔑の言葉を吐いた時から、たちまち兄の運勢が下りはじめ、自営していた会社は莫大な借金で倒産し、弟の部屋に転がり落ちる「転落」が始まった。
更に、父の容態が急に悪くなり、下の姉からの手紙には、「兄に早めに帰るように伝えて下さい。」と促す手紙が届いた。だが福岡に帰る事を、何故か拒否して嫌がっていた兄も、飛行機代を渡すと、「うーん、仕方無いか…。」と、しばらくすると諦めて実家に帰る決意をした。兄が弟の私の部屋で過ごした日にちは3ヶ月と10日だった。
つまり100日間、兄は弟の部屋に滞在した。その後、この100という帰一数が、もう1度出てくる。それは兄が電柱に衝突して、大腿こつの骨折で入院して、退院するまでが、丁度100日であった。
「あれ?、今日で丁度100日目になるよ。ピッタリで退院するんだね。」と、私が兄にさりげなく言った。「おう、そうか…。」と少し驚いて答えた。だが、その深い意味に気が付いたのは、兄が死んでからの事であった。あの時が、兄弟にとって、重要な2回目のチャンスだった事に全く気がつかなかった。
総じて言えば、我々兄弟は、姉達も弟の私も、共に余りにも若く未熟だった為に、大切な兄の命を失ってしまったのか。頭の容量が少し足りない私にとって、並外れた雑学の知識に溢れていた、頼もしい兄という貴重な「右腕」を無くしてしまったのだ。
つづく。
|